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プロフィール

岡田 裕之(オカダヒロユキ)

富山市で設計事務所を営んでいます。

ZEHビルダー登録設計事務所。

一級建築士、住宅インスペクター(診断士)登録、宅地建物取引士。

歴史

1962年5月12日、石川県小松市で生まれました。

生家の裏には自衛隊小松基地があります。

航空自衛隊です。年に1回航空ショーが行われるのですが、そのときは周辺の道が大渋滞になります。

こどもの頃、そこにファントムが配備されるようになり、当時のソ連が領空侵犯を繰り返し、深夜によくスクランブル発進が行われていました。

その騒音は凄まじく、家の窓ガラスがビリビリと共鳴したのを覚えています。

昼間に飛ぶこともあるのですが、家の上空を通過するときにはファントムのお腹がかなり近くに見え感動ものです。

また当時はまだ省ではなく防衛庁だったのですが、国の窓口として町内の家々の窓の防音工事をしてくれました。


実家はもとは農家で、家のつくりも玄関が土間縁になっていてそこにかまどがあったのを、現代風の玄関とダイニングキッチン、お風呂に改築されました。

僕が小学生低学年のころだったので、まだ昭和40年代です。当時の片田舎にしては、斬新な改築だったのではないでしょうか。

同じ町内に住む大工さんが3人くらい、結構長い間作業をしていたのを覚えています。

建築の道に進んだのは、この頃の体験が深層心理のなかに残っていたのかもしれません。


小中高と地元で過ごし、大学入学で上京しました。

最初は東京になじめず1年間を今で言うニート状態で過ごし留年。

2年目も1年生だったのですが、後から入ってきた新入生はほとんどが浪人生。

同じ年のせいなのか、留年生を軽く見るのか、結構タメ口で近寄ってきてくれて友達もたくさんでき、授業もまじめに受けるようになりました。

5年間で何とか卒業。地元に帰ろうかなという思いもあり、本社が石川県にあるゼネコンに就職しました。

ゼネコン時代

金沢市には陸上自衛隊があり、新人研修はそこからスタートです。

あさ6時に進軍ラッパの音で庭に集合、国旗掲揚で朝がスタート。

ひたすら走るだけの毎日。よく覚えていませんが、なにやら大きな掛け声をかけながら走らされました。きつかったなー。

配属は東京支店。

仕事は、建設現場の監督。その頃の、この業界はまさにブラック。

1年目から泊り込みの現場に配属。

「日曜日に予定入れんじゃねーぞ。仕事になるかもしれないんだから。」といわれ、休めると分かるのが前日の夕方ですから、予定も立てられません。

月に2日くらい休みがもらえました。

仕事は、ひたすら現場内の掃除。来る日も来る日も掃除です。これもまた、きつかったー。

ある日、ほとほと嫌気が差して「もーやーめた」と決意し土曜日の深夜、実家に向けて車を跳ばしました。半ば居眠り状態で運転していて、それに気付いたトラックの運転手がクラクションで起こしてくれ命拾いをしました。いまでも時々思い出します。感謝感謝です。

結局、半分くらい行ったところで、違う意味で目を覚まし、東京へ引き返しました。

2年間の実務経験をつむと、一級建築士の受験資格が出来るのですが、とにかく早くとって次のステップに行こうという思いから猛勉強しました。

試験の1年前からスタートして、往復の通勤電車のなか、寮に帰って寝るまでの時間、休み無く勉強しました。

おかげで、独学で一発合格!まわりからは賞賛の嵐でした。

この会社での4年間、建物を作り上げていく過程を現場で学べたことは、大きな財産だったといま思えています。

設計事務所時代

時代はバブル。どこも人手が足りない状況のなか、著名な建築家の事務所でお世話になることに。

所員は100人、当時ではまだめずらしいCADルームに女の子が20人くらい在籍していました。

所内の雰囲気はとてもアカデミックな感じで、学校で勉強しているような毎日でした。

当時図面はまだ手書きがメイン。

徹夜の作業が続くこともありましたが、形のあるものを創造する楽しさの方が勝っていました。

まったくの無から有を生み出すことの楽しさ・苦しさを学びました。

結婚、Jターンから地元ビルダー

仕事は楽しいのですが、当時の設計事務書は薄給。結婚を機にとあるデベロッパーに転職。

マンションの設計に携わりました。

当時、都市部やその郊外では、集合住宅に対しての行政指導が厳しく、共同住宅を建てるための手続きがとても煩雑でした。

いまではこうした、行き過ぎた行政指導を規制する法律ができたことでなくなりましたが、当時は役所との交渉も主要な業務でした。

役所とのけんかです。法律を盾にけんかするのですから、法律に詳しくないとダメです。もう一度建築基準法を勉強しなおしました。

その他、都市計画法、宅地造成規制法というのもやりました。

簡単に行政の言いなりにならない、建築士としての自分の考え・法解釈をもって役所と交渉する。

ひいてはそれが建築主の利益になるということを学びました。


ひとり目の子供がうまれたころ、この先の建築士としての自分はどうあればよいのかを考えるようになりました。

そのころ住宅を一件やったことはあったのですが、クライアントと最初から最後まで関われる楽しさというか、自由さというかそういうものへの憧れもあり、「住宅をやろう」という考えになりました。

家族を養わなければいけないので、食えない設計士では困ります。ひょんなことから、富山の某ビルダーのお世話になることに。

10年弱の在籍期間に80件くらいの木造住宅を設計しました。

設計事務所開設

5年まえ、設計事務所を開設。

戸建て住宅、クリニック、工場付属の事務所、店舗に携わらせていただきました。

設計施工で、まさに最初から最後まで関わった物件もあります。

個人事業でまだまだ不安定ですが、軌道にのるまで孤軍奮闘でいきます!

業務内容

まさに建築に関わるすべての業務をおこないます。

各種申請手続きも迅速さが売りです。内容によっては、日本全国対応可です。

ブログ

基本的に自分の備忘録的に書いています。

ただ一般の方が理解できるように、分かりやすい言葉で、専門用語はきっちり説明することを心がけています。

建築の中でも、住宅は建てたひとの人生設計にも関わる部分です。

「建築を切り口に人生を語る」が主旨のこのブログが、見に来てくださったかたのお役にたてれば幸いです。

良ろしければ、こちらのホームページokada-kenchiku.comにも来てみてください!

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